ブンブク茶の間

「付き合う前」の、あの感覚が、最高に楽しい。

ある女性と出会うまで(6)終章 / 依存することの話

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結局、ぼくらは朝まで同じ時間を過ごした。

 

朝まで、一緒にいる間、

お互いの唇を探り合う程度の接触はあった。

 

夜中の3時に、ぼくは、

アルコール混ざった言葉と感情で、もう一度気持ちを伝えた。

 

彼女は先程見せたものと同じ種類の涙を流していた。

 

しかし、理由を聞いても、彼女はそれを言葉にすることを拒んだ。
しきりに首を振ったあと、何度か小さくうなずいて、
また少し首を振った。その後、顔を挙げた彼女の顔は柔らかかった。

とうとうその涙の、詳しい理由を聞くことはできなかった。

 

帰り際、また会うことを約束した。

 

***

 

数日後、彼女と映画を観に行った。

それまでの連絡のやりとりは1日1通程度。

これまで会ってきた回数や、話してきた内容を考えると、
とても冷ややかな連絡頻度だった。

 

しかし彼女は、会うといつものように笑い、話し、
とても楽しそうな表情をしていた。

 

結局、その映画を観たデートが、
彼女と会う最後のデートとなった。

 

彼女は、直接会っている間は、
とても楽しそうにしていたし、お互いの家族に関する話まで
かなり踏み込んだ話もしていた。

しかし、彼女は最後まで恋愛感情に関しては煮え切らない態度を取り、
最終的にぼくは、フラれたのであった。

 

男女の仲にはならなかったが、

 

彼女の両手で頬を包まれ、
唇を重ねるというある程度の段階までは進行していた。

ぶっちゃけ、この段階で付き合ったとも思った。
いや、ここまで来たらもう、そう思う。

 

「それでも」という言葉が正しいかは分からないが、
それでも、フラれたのだ。

 

 

ひと夏の恋は、本当にひと夏で終わった。

 

 

***

 

使い古された言葉ではあるが、

恋愛の傷は、恋愛でしか癒せないという。

 

それはまぁ、間違っていないとも思う。

恋愛ってそもそも、生存本能の1つであるし、

物凄く精神的にカロリーを消費する行動だとも思う。

 

その分、成就しなかったときの焦燥感は地獄に落ちるような気持ちで、
さらに「他にやりようがあったのではないか」という後悔の念も拭いされない。

 

雑誌『WIRED』の編集長の、若林恵氏は、
「いまの時代は、依存先の分散化が必要な時代。」
と言っている。

 

そもそも、人間は依存しなくては生きていけない。

親、恋人、会社、宗教…。人や思想だけでなく、
スマートフォンや車など含め、人間は多くのものに依存している。

 

モノや情報が溢れかえるイマ、
執着し、依存している。

 

しかし、1つだけのものに依存してしまうのは

物理的にも精神的にも危険だ。

それを心の拠り所にしてしまうと、

それが崩壊したとき、すがるものがなくなってしまう。

 

それは、恋愛においても同じだ。

 

1つの、一途な恋愛が芸術的で感動的なことは

誰もが認める部分ではあるが、そんな美しいものだけで語れるほどあまくはない。

 

一緒にいる間に、相手が自分以外の人のことを考えている。

デート中に、相手が僕と他の男を検討の土台にあげている。

 

そんな目に見えない部分を心配しても仕方ないが、事実として、
そういうことは現実的に、日常的にかなりの可能性で起こっている。

 

だからこそ、

1人の人に依存してはいけない。と思った。

 

幸い、ぼくは今回、他にも連絡を取っている人がいて、心の傷は最小限で済んだ。

 

それは全く美しい話でもないが、
誰かに否定されるほど、汚い話でもない。

 

現実的な話だ。

 

 

しかし、
彼女が好きな音楽を好きになろうと努力をし、
彼女が好きで、僕が大嫌いなパクチーを、

「食べられますよ。」

と言って、平気な顔で食べたりもした。

 

少し背伸びをして、ちょっとでも彼女に合う人間に変わろうとしている
自分がいた。

 

それ自体は本当に楽しかったし、
その人のお陰で垣間見えた自分の見たことの無い姿でもあった。

そして、ついには駆け引きを忘れて、
純粋に好きだということを表現するところまでいった。

 

結局成就することはなかった。

 

 

まだまだ書きたいことはあるけれど、

成就しない恋ほど、切ないものはない。

 

でも、

 

成就するかもしれないと思える恋ほど、楽しいものはない。

 

いやー。本当に楽しかった。

 

多分まだまだ続きますが、

35歳の女性と出会った話は、ここで終わりです。